2008年 02月 29日
あかり |
最終日24日に松下電工汐留ミュージアムで開催されていた、「あかり/光/アート展」に出かけた。奈良県法隆寺の近くにあり、西日本の残り少ない「灯芯」の産地で「あかりの里」と知られている安堵町歴史民族資料館の辻本コレクションを中心に江戸中期から昭和初期まで幅広い展示がされていた。
「煮炊き」「暖房」「あかり」という三つの役割をもつ「火」を古来から活用してきたが、そのひとつを「あかり」としてとりだし、江戸期にはさまざまな照明器具が考案されたそうだ。そんなかかでも、特に興味を持ったのは、明るさも調整でき、変化するデザインの「有明行灯」や「遠州行灯」おなじみの「和風ペンダント」の源流は、遊具場、銭湯、寺院など人の多く集まる場の天井に吊り下げられて、空間全体を照らした「八間行灯」であった。納得の形をしていた。「灯台下暗し」の灯台は、海の灯台「灯明台」ではなく、生活に使われていた「灯台」だそうだ。
時代が下るにつれて、照明の光源を生む素材も樹木から油、そして、現在使われている化石燃料、ガスや電気へと変わってきた。照明器具のデザインも変化した。
ほのかに光る「あかり」から、すべてが見えないことで奥行きの深さを感じ、さらに、見えていない何かをそこに見つけだす面白さを知った展覧かであった。
「煮炊き」「暖房」「あかり」という三つの役割をもつ「火」を古来から活用してきたが、そのひとつを「あかり」としてとりだし、江戸期にはさまざまな照明器具が考案されたそうだ。そんなかかでも、特に興味を持ったのは、明るさも調整でき、変化するデザインの「有明行灯」や「遠州行灯」おなじみの「和風ペンダント」の源流は、遊具場、銭湯、寺院など人の多く集まる場の天井に吊り下げられて、空間全体を照らした「八間行灯」であった。納得の形をしていた。「灯台下暗し」の灯台は、海の灯台「灯明台」ではなく、生活に使われていた「灯台」だそうだ。
時代が下るにつれて、照明の光源を生む素材も樹木から油、そして、現在使われている化石燃料、ガスや電気へと変わってきた。照明器具のデザインも変化した。
ほのかに光る「あかり」から、すべてが見えないことで奥行きの深さを感じ、さらに、見えていない何かをそこに見つけだす面白さを知った展覧かであった。
by kakian-teishu
| 2008-02-29 10:52
| 文化